2011年 07月 12日
「ふところ」通信から転載 その3 |
懐」通信の発信者は子どもNGO懐を主宰している高森さん(写真左)
彼との出会いは2008年5月3日ミャンマー・ヤンゴン。猛烈なサイクロンに襲われた日です。
飛行場も閉鎖され、帰国出来なくなった日本人同士でした。
それ以来相互に協力し合いながらお付き合いが続いています。
高森さんの即断即決の行動力にはいつも感服しています。
東日本大震災直後にも躊躇せず兵庫県から現地に飛んで災害支援をし、その2ヶ月後には被災地を見届ける目的で青森県から千葉県まで原チャリ一人旅を実行したのです。
私は20年ほど前その逆ルートをバイク一人旅をしたのですが津々浦々の風景や出会った人々の記憶は美しいまま残っています。
体力が許せば私も高森さんと同じ行動を取ったでしょう。
彼の快諾を得たのでその報告の一部を転載します。
「懐」通信 vol. 590 ( 岩手県《鳥越》 )
山陰海岸もそうですが、三陸沿岸部もトンネルがたくさんあります。
海にごく近い地域の高架線路は、大きな被害を被っていました。復旧には高架から修復せねばならないでしょうから、かなりな時間がかかるのではないでしょうか。
添付の4枚の写真は、岩手県鳥越地区内のトンネル・高架線路ですが、それぞれ4枚とも別々のトンネル、高架線です。
懐」通信 vol. 592 ( 岩手県《田老町》 )
岩手県に入ると途端にその被害は顕著になります。
繰り返しになりますが、これで震災「二ヶ月後」の風景です。
当日、いかに甚大な被害であったか想像すると、本当にぞっとする思いです。
どの町村にも必ずと言っていいほど立ててあった<三陸大津波 ここから><三陸大津波 ここまで><津波想定浸水区域>・・・これがほとんど当たっているのです。
岩手県の小袖村でこの三陸津波(78年前)を覚えていると言う84歳になる老人に会いました。
「あのときと、同じか、それ以上だ、今回は」
「懐」通信 vol. 593 ( 岩手県《宮古~山田》 )
「巨人荘」という名前に目が止まりました。
さすがに巨人だけあって、津波にもなんとか持ちこたえたんだぁ~、と思っていたました。
しかし、アパートの後ろに回り込んでみると、ごっそりと”中身”がありません。
津波は巨人荘の後ろから回り込み、裏にあるコンクリート壁に当たってさらに勢いを増し、渦を巻いて過ぎ去ったのでしょうか。玄関のドアから後ろがまったくありません。
その基礎の高さ、扉の厚さから、立派なお蔵だったと察せられます。
漆喰の白壁も屋根も津波に剥がされています
「懐」通信 vol. 594 ( 岩手県《釜石~大槌町》)
釜石と大槌町はメディアでよく取り上げらる被災地です。
港の加工場です。一階部分を津波が破壊し、一気に市街地になだれ込んだのでしょう。
釜石に入ったあたりから雨が降って来ました。
by mingaranokaze
| 2011-07-12 17:01
| 番外編~東日本大震災