2009年 06月 14日
ミャンマー バガンの僻地に学校を建てる(2) |
ミャンマー地図とバガンの場所はホームページでご覧ください。
2009年02月15日
ミンガラーの風の活動を献身的に支えてくれるソーさん(左)とウィンウィンさん。
こういう人たちの協力がなければいくら立派なお題目を唱えても何も出来ない。
話し合いが終わって皆さんと記念写真、数時間前に初めてであった人たちとは思えない親近感が生まれています。
さよならを告げると昼食を用意したので是非といわれる。
突然の訪問なのにとても心のこもったご馳走です。
ご馳走さまをして帰り際に さよならの挨拶をする少女。
さよならの挨拶をする親子。
さよらなの挨拶をする村の人。
車に戻りながら急きょ音楽会をすることにした。
こういうとき池田大介さんはとても頼りになる。
おそらく村の歴史始まって以来の出来事。
何を演奏したかって?バッハの「主よ人の望みよ喜こびよ」とか「アヴェマリア」とか「涙そうそう」まで歌ってしまいました。
音楽会を終えて本当に今日はさようなら。何時までも見送ってくれる人たちの笑顔が心にしみる。
隣のモンタイ村小中学校を訪問、古いけれど木造の校舎。
この村はカンター村より規模が大きいので生徒も多い。
教室不足で村民たちが増築した校舎。
女の校長先生はじめ村の代表者と援助のことを話し合う。
皆さんの希望は校舎の新設、でもこの校舎は政府のものなので、勝手なことをしてはいけないと思う。
最上級生(6年生)の教室、机を贈ることになった。
校舎の脇にあった水槽、これは飲料水で子どもも先生もこれを飲んでいる。
日本では考えられないことだけれどミャンマーの国の人々は安全な水の確保にとても苦労している。
モンタイ村の僧院に立ち寄る。ミャンマーの人にとって僧院の存在は物心ともになくてはならないものだ。
住職ウーニャーネィダさんもとても立派な方。
ウーニャーネィダさんは僧院を子どもたちのために開放している。
伝統音楽を学んでいる子ども。
電気も水道もない村の子どもたちが夜も勉強できるようにウーニャーネィダさんは苦労して太陽光発電のパネルを手に入れて自分で設備した。
僧院からさようなら、見送りの子どもにお菓子を配る池田さん
今日の訪問を終わりまた牛車道を戻る。
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2009年02月15日
ミンガラーの風の活動を献身的に支えてくれるソーさん(左)とウィンウィンさん。
こういう人たちの協力がなければいくら立派なお題目を唱えても何も出来ない。
話し合いが終わって皆さんと記念写真、数時間前に初めてであった人たちとは思えない親近感が生まれています。
さよならを告げると昼食を用意したので是非といわれる。
突然の訪問なのにとても心のこもったご馳走です。
ご馳走さまをして帰り際に さよならの挨拶をする少女。
さよならの挨拶をする親子。
さよらなの挨拶をする村の人。
車に戻りながら急きょ音楽会をすることにした。
こういうとき池田大介さんはとても頼りになる。
おそらく村の歴史始まって以来の出来事。
何を演奏したかって?バッハの「主よ人の望みよ喜こびよ」とか「アヴェマリア」とか「涙そうそう」まで歌ってしまいました。
音楽会を終えて本当に今日はさようなら。何時までも見送ってくれる人たちの笑顔が心にしみる。
隣のモンタイ村小中学校を訪問、古いけれど木造の校舎。
この村はカンター村より規模が大きいので生徒も多い。
教室不足で村民たちが増築した校舎。
女の校長先生はじめ村の代表者と援助のことを話し合う。
皆さんの希望は校舎の新設、でもこの校舎は政府のものなので、勝手なことをしてはいけないと思う。
最上級生(6年生)の教室、机を贈ることになった。
校舎の脇にあった水槽、これは飲料水で子どもも先生もこれを飲んでいる。
日本では考えられないことだけれどミャンマーの国の人々は安全な水の確保にとても苦労している。
モンタイ村の僧院に立ち寄る。ミャンマーの人にとって僧院の存在は物心ともになくてはならないものだ。
住職ウーニャーネィダさんもとても立派な方。
ウーニャーネィダさんは僧院を子どもたちのために開放している。
伝統音楽を学んでいる子ども。
電気も水道もない村の子どもたちが夜も勉強できるようにウーニャーネィダさんは苦労して太陽光発電のパネルを手に入れて自分で設備した。
僧院からさようなら、見送りの子どもにお菓子を配る池田さん
今日の訪問を終わりまた牛車道を戻る。
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by mingaranokaze
| 2009-06-14 16:56
| 学校を作る