2009年 07月 10日
孤児院の音楽教室 |
2005年11月11日はニューライフ ファンデーション センター(キリスト教系の孤児院)を初めて訪れた日。
「アジアの子どもに学校と音楽を」 と張り切って来たのは良いけれど、この国には音楽教育というものがほとんど存在しないのです。
バガンの学校を訪問してそのことを知りました。
そのうちのいくつかの学校には日本のボランティアが持ってきたというリコーダーがありました。
学校名や元の持ち主の名前も書かれています。
指導者もいないし使い方も分からない、と困惑の様子です。
これはせっかくの善意が生かされないボランティア活動で一番陥りやすい形です。
ミャンマーの子どもに音楽を教えたいとの願いを諦めかけながら最後に飛び込んだのが此処、ニューライフ孤児院。
子どもたちの大きな歌声が聞こえてくるではありませんか・・・・・
ニューライフ ファンデーション センター
日本からの援助で建てられた本棟、100人以上の子どもが収容されている。
後で分かったことだけれどここは世界中からのボランティアが訪れる恵まれた施設。それでも園長さんは経営が苦しいといっていた。
身振り手振りを加えながら全身のエネルギーを発散しているようだ。
歌のレパートリーは賛美歌を中心にいろいろ。
突然の訪問なのに笑顔で中に招き入れてくれたブブ先生。
「ここの子供は皆心に傷を抱えています」
「歌はこの子たちの心を癒してくれます」 と彼女は言った。
伴奏のギターを抱えているのはシャロム君、彼との運命的な出会いの日になった。
日本から寄付されたリコーダーがある、と言って子どもが持ってきた。
何曲か演奏してから「皆さんも吹けるようになりたいですか?」と聞いた。
ミャンマーで音楽を教える場所が出来た。
諦めてはいけないのだ。
ここに、収容されている子どもは、捨て子、親との死別、ストリートチルドレン、その他さまざまの社会のひずみを負わされてきた。
園のおおらかな環境の中で少しずつ笑顔を取り戻す。
「アジアの子どもに学校と音楽を」 と張り切って来たのは良いけれど、この国には音楽教育というものがほとんど存在しないのです。
バガンの学校を訪問してそのことを知りました。
そのうちのいくつかの学校には日本のボランティアが持ってきたというリコーダーがありました。
学校名や元の持ち主の名前も書かれています。
指導者もいないし使い方も分からない、と困惑の様子です。
これはせっかくの善意が生かされないボランティア活動で一番陥りやすい形です。
ミャンマーの子どもに音楽を教えたいとの願いを諦めかけながら最後に飛び込んだのが此処、ニューライフ孤児院。
子どもたちの大きな歌声が聞こえてくるではありませんか・・・・・
ニューライフ ファンデーション センター
日本からの援助で建てられた本棟、100人以上の子どもが収容されている。
後で分かったことだけれどここは世界中からのボランティアが訪れる恵まれた施設。それでも園長さんは経営が苦しいといっていた。
身振り手振りを加えながら全身のエネルギーを発散しているようだ。
歌のレパートリーは賛美歌を中心にいろいろ。
突然の訪問なのに笑顔で中に招き入れてくれたブブ先生。
「ここの子供は皆心に傷を抱えています」
「歌はこの子たちの心を癒してくれます」 と彼女は言った。
伴奏のギターを抱えているのはシャロム君、彼との運命的な出会いの日になった。
日本から寄付されたリコーダーがある、と言って子どもが持ってきた。
何曲か演奏してから「皆さんも吹けるようになりたいですか?」と聞いた。
ミャンマーで音楽を教える場所が出来た。
諦めてはいけないのだ。
ここに、収容されている子どもは、捨て子、親との死別、ストリートチルドレン、その他さまざまの社会のひずみを負わされてきた。
園のおおらかな環境の中で少しずつ笑顔を取り戻す。
by mingaranokaze
| 2009-07-10 14:32
| 孤児院の音楽教室